2014年12月9日火曜日

アメリカがライバルを育てた

歴史の教訓は、はっきりしている。軍事力は経済力が衰えたあともしばらく維持できるかもしれないが、最終的には基礎に強い経済力がなければ軍事力は維持しきれないのである。湾岸戦争におけるアメリカの勝利は、二一世紀にもアメリカの軍事大国としての地位が不動だろうということを意味するだけで、アメリカが二一世紀にも経済大国の地位を維持できると言っているわけではない。

第二次世界大戦が終盤を迎えたとき、日本とドイツの経済をどうするかで戦勝国どうしのあいだに激しい議論の応酬があった。ローマがカルタゴに勝ったあと畑地に塩をまいてカルタゴの経済を二度と芽が出ないよう破壊しつくしたのにならって、日本とドイツの経済も徹底的に叩きつぶしてしまえという声もあった。ドイツのほうが日本より先に降伏したので、ドイツでは実際に組織的な産業基盤の破壊がある程度おこなわれた。とくにロシアによる東ドイツ地域の破壊が著しかった。しかし最後には、どこまでも人の好いアメリカの主張が勝った。

経済的に豊かにしてやれば民主主義陣営に加わるだろう、アメリカに商品を買ってもらわなくてはならないとなればアメリカの味方につくだろうと、これがアメリカの論理だった。この単純素朴な論理にもとづいて、アメリカは第二次世界大戦で荒廃した国々に敵味方の別なくマーシャループランを提示したのだった。マーシャループランはソ連や東欧の共産圏諸国にも差し伸べられたという事実を、とくに指摘しておきたい。だが、アメリカが申し出たマーシャループランを、元帥スターリンははねつけた。

第三世界の貧しい国々に対する援助も、同じ発想から生まれた新しい試みだった。第二次大戦前の植民地主義の世界では、第三世界の国々は自国を豊かにするための存在でしかなかった。植民地経営がはたして経済的にプラスだったのかどうかについては歴史家のあいだでも見解か分かれているが(利益よりも植民地を維持する費用のほうが余計にかかったのではないかという説もある)、植民地支配の目的については疑う余地がない。自分たちが豊かになるために植民地の富を搾取するのが目的だったのである。

第二次世界大戦後の経済成長の数字は国によってさまざまだが、成功例のほうか失敗例よりもはるかに多いことはまちがいない。先進国からの援助と輸出品を買い上げてくれるアメリカ市場のおかげで、第三世界の国々のほとんどが一九五〇年から一九八〇年にかけて史上空前の経済成長を達成した。ほんの一〇力国あまり(ほとんどかアフリカの国)を除いて、インフレ修正後の一九八〇年の国民生活水準は一九五〇年の水準よりはるかに向上している。

2014年11月8日土曜日

モラトリアルの確立が必要である

もちろん、犠牲的精神で本当に苦労なさっているお役人の方々も沢山おられます。それは充分に認めながらも、一部の役人たちの中には、どんなに苦労して一生懸命やっても、逆に一日中ハナクソをほじくっていても、もらえる給料は同じだと悟っている方々がいるようです。

そういう人がどれくらいの数いるのか分かりませんが、よほどのことがないと問題を問題として認識してくれない現実があります。あるいは、事件を事件として扱ってくれません。

問題として認識してくれないと、解決もされませんし、うやむやになったり、「なあなあ」で適当に処理しようということになりがちです。そうした「うやむや」にするための方法なども、役所にはちゃんと整備されているようです。

この背景には、「法律違反などは、そう簡単にあってはいけない」という先入観、偏見、不文律のようなものかおり、法律違反をなかなかスパッと認めにくいということがあります。裁判官は、もし「問題あり」などと認めてしまうと、同種の問題を抱えた人々が救済を求めて殺到することを危惧します。ただでも忙しい裁判官からすると、ぞっとする事態でしょう。だから、よほどのことがないと裁判で違法が認められにくいのです。

2014年10月8日水曜日

沖縄移住ブームは定着するか

この豊かさ指標に対しては連続全国最下位となっていた埼玉県知事などからの強い批判もあり、経済企画庁は十年ほどで「豊かさ指標」発表を取りやめにした。当然のことだろう。統計には表れない、統計では表すことができない「豊かさ」や「居心地のよさ」が沖縄にはたくさんある。だからこそ、人々は沖縄に惹きつけられ、沖縄に移り住む。私はこれらのものに魅せられて沖縄に移住したわけではないが、最近の状況を見るにつけ、先見の明かあったのではないかと、秘かに自負している。

時事通信社が全国の有識者七百五人を対象に実施した「住んでみたい都道府県」調査(二〇〇五年)によると、沖縄が圧倒的に全国一位だった。二位以下は静岡、京都、東京、福岡、北海道と続く。芸能人や著名人の中には沖縄移住を考えて、住む場所を探しているという話もよく耳にする。既に、沖縄に別荘を持っている人もいる。本土では見られない亜熱帯の空や海に身を包まれて、南国ののんびりしたスローライフの中で生活すれば、心身ともにリラックスして、生き返った気分になる。沖縄に住む者として、移住希望者が多いということをうれしく思うと同時に、気になることがないでもない。

数年前から沖縄移住が一種のブームのようになっている。それは多くの日本人が、家庭、家族を犠牲にしてまで会社人間として仕事に明け暮れ、リストラに直面、あるいはリストラされないまでも、いつ解雇されるか分からない状況に置かれるようになっていることと無関係ではあるまい。自らの将来を思うと、このままでいいのかと不安になり、それだったら、いっそのこと、物価も安くて、生活もしやすそうな南国・沖縄へ行こうか、と考える人が増えてきたからだろう。二〇〇七年以降、団塊の世代がどっと定年を迎えるが、これらまだまだ若い定年団塊世代の目が沖縄に向いて、移り住む人も増えていくに違いない。

沖縄で、のんびりした南国の生活を楽しむのは素晴らしいことだ。若いときだと、自分たちがしたいことを、したいときにしていればなんの問題もない。ダイビングを楽しみ、南の離島で南十字星を眺めればいいだろう。都会で、小さなアパートに住み、長い時間、通勤電車に揺られてあくせく生活していたことを考えると、南国は楽園、夢の島だ。ところが、それなりに年をとって、家族で沖縄に移り住むとなると、事情も変わってくる。軽井沢などに別荘を持ち、夏の間だけ時間を過ごすというのと、ずっと住み続け、生活するのとではまったく違う。その土地に住むということは一時的な旅行と異なり、周辺の人たちと付き合い、コミュニティーと関わり合いながら生きていくことであり、これらを抜きにしては生きていけない。見落としがちであるが、大事なことだと思う。

沖縄でもマンションが立ち並ぶ都心部では隣近所のことは気にしなくても済む。だが、地方に住むとなると、その土地の祭りや集落の会合などにも顔を出さねばならず、都会から来た人たちにとっては煩わしく思うことも多いはずだ。沖縄戦のことは関係ない、歴史や文化も知らなくていい、沖縄には癒されるために来たのだから、という気持ちではその土地の人とうまくやっていけるかどうか。沖縄に限らず、地方に暮らすのであれば、全国どこでも同じだろう。言葉も違い、風習も異なるところでの生活に馴染めずに、沖縄から引き上げたという人の話も聞く。沖縄に魅せられて移り住む若いカップルも多いが、子どもが中学、高校進学の時期を迎えると、子どもの将来のことを考えて落ち着かなくなり、都会に戻っていくケースもまた多い。

2014年9月8日月曜日

日本でも高い利益率を目標にかかげる企業か増える

事実、業績の良い日本企業を見てみると、過去二〇年間の投下資本利益率は政府の発行する債券の利率よりも低いのである。ホンダがよい例だ。ホンダが自動車の生産に乗り出そうとしていた一九六五年から一九八〇年までの一五年間、資本利益率はオートバイだけを生産していた頃の九パーセントからわずか三パーセントに激減した。三パーセントの利益率なら、同じ金で政府債券(アメリカでも日本でも)を買ったほうかはるかに利率がいい。そのことを重々承知のうえで、それでもホンダは利益率が低くリスクの高いほうを選んだのである。

日産自動車の首脳は新車種の「インフィニティ」を発表するとき、むこう五年間は利益を期待していないと語った。アメリカだったら、四七パーセントの企業が初めの三年間で利益が出始めないような事業には投資しないだろう。アメリカ企業と同じ投資規準を設定している企業は、日本ではわずか一〇パーセントしかない。

日本企業が円高にうまく対処できたのは、投下資本利益串を低く設定しているのに負うところが大きい。一層勤勉に働いてぜい肉を削る努力を重ねる一方で、松下や日立などのように利益を半分にしてでも市場競争力を維持しようという方針が効を奏したのである。松下の場合、一九七〇年代初めには売上げに占める利益の割合が一二パーセントを超えていたのに、一九八〇年代の末には七ないし八パーセントまで落ち込んでいる。日立の場合、利益の割合は一一ないしこ一パーセント台であったのが、六ないし七パーセントまで落ち込んだ。

ロンドンービジネスースクールと『エコノミスト』誌が最近おこなった、企業の純利益(収益から原材料費、賃金、生産に必要な資本コストを差し引いた残り)調査によると、売上げに対する純利益の割合が多い大企業(売上げが一〇億以上)上位三〇社のうち、二三社がアメリカ企業、四社がイギリス企業で、日本企業は一社もはいっていなかった。もう少し小規模な企業についても同様な調査をおこなったが、やはり上位三〇社のなかに日本企業は一社もはいっていなかった。

このところ日本でも高い利益率を目標にかかげる企業か増える一方で、より高い資本回転率やより大きなマーケットーシェアをめざす企業は減ってきている。しかし、「利益の極大化」といっても日本のタイムスケールは非常に長いので、アングローサクソン系企業のいう「利益の極大化」と同一に論ずることはできない。仮に市場金利を一〇パーセントとした場合、いまから一五年後の利益は一ドルに対してわずか二四セントにしかならず、それまでの一五年間にかかったコストをカバーできるとは思われない。

おもしろいことに、日本人は利益を第一に追求するアメリカ企業の姿勢こそアメリカ製品の国際競争力を低下させる最大の原因であると考えている。この見方を裏返せば、日本企業がみずからの強さの原因を何と認識しているかがわかるだろう。投資目的の株主から見れば、自分の持ち株に買い手がたくさんつけばつくほど高い値段で売却できるから好都合、ということになる。良い値がつけば売るIこれが普通だ。しかし、生産志向の経済論理では、企業運営の独立性を守るために、高値がついても株を売らない。

2014年8月11日月曜日

第三の候補者が大量得票する

さらに、従来の考え方からすれば、経済問題が選挙の主要な争点になるはずだが、二〇〇八年の選挙では、そうではない理由が今一つ考えられる。従来からの「君たち、経済問題だよ」という考え方が、実際は正しくないといえるのかもしれないのだ。一九九二年、ビルークリントンは、この有名なスローガンを掲げたにもかかわらず、全国投票でわずか四二%の得票宰でしか、勝利を収めていないのである。

アメリカとしては異例のことだが、ジョージ・ブッシュが破れたのは、第三の候補者が大量得票をしたからだ。すなわち、テキサス出身のビジネスマン、ロス・ペローが、右翼と孤立主義、それに保護貿易を標榜して、ブッシュ大統領に入るはずの票を、一九%も獲得したのだ。二〇〇八年にも同様のことが起こるかもしれない。というのは、ペロー氏と回しビジネスマンで、ニューヨーク市長のマイケルーブルームバーグが、独立系候補としてえ候補することを考慮しているからだ。彼はぺ口ー氏のような独立主義者ではないが、十一月の大統領選挙の行方を大きく左右するかもしれないのである。

しかし、ビルークリントンがジョージーブッシュに差をつけて、勝利を収めた理由は、単に景気後退だけではなかったようだ。両候袖に見られた大きな違いは、経済政策の相違よりも、クリントン氏が、ブッシュ人統領と違って、一般市民の関心事にいっそう重点を置いたことである。今まで副大統領の多くは、引退する上司に代わって立候補してきたが、今回はディックーチェイニー副大統領が立候補しないために、現職副大統領の候補者がいなかったからだ。経済衰退の原因を、直接、共和党のジョンーマケインのせいにすることはできなかった。

二〇〇六年来、アメリカ議会は、ジョージ・W・ブッシュ大統領が率いる共和党ではなく、民主党が掌握しているので、議会選挙においても、不況を単に政権担当の共和党の責に帰して、投票するのは難しいのである。それ以上に、これまでアメリカ大統領選挙が展開されてきたなかで、きわめて驚くべき事実がある。一年前、経済評論家に、大統領予備選挙、なかでも民主党の予備選挙で、主要な経済問題は何かと聞けば、きっと貿易と中国問題の二つだと、すぐさま答えたに違いない。

誰しも、一九八四年と一九八八年に、日本との貿易赤字を俎上に載せたように、中国との膨大な貿易赤字が、選挙の争点になると予想し、人気取りのため、候補者の中国叩きが激しく起こるものと思っていた。しかしそれは起こらず、中国の名さえ、ほとんど話題に上らなかったのである。中国が、これまで中国叩きを免れたのは、サブプライムローン問題が明確に示したように、アメリカの経済危機は国内で発生したものなので、外国を容易に非難することができないからと思われる。

2014年7月19日土曜日

財政政策の金融政策に及ぼす影響

金融取引が自由化、国際化されている現状では、ある程度以上の信用度をもつ政府、つまりほとんどすべての先進国の政府は外国市場で資金を調達し、これを国内に持ち込めるから、公債の中央銀行引受禁止だけでは、財政に節度を課すことはできないし、金融政策当局として、財政政策の影響を受けないわけにはいかない。

最近の事例からみると、財政政策の金融政策に及ぼす影響がとくに大きいのは、次のような場合である。一つは、財政赤字が大きく、それが主因となって景気が過熱し、インフレが進行している場合である。いま一つは、景気の停滞を財政で刺戟することが望ましいのに、その発動が遅れている場合である。このように、インフレや景気停滞の主因が財政政策にあることが明らかな場合、金融政策当局として、これは自分たちの責任外の現象であるとして、放置しておいてよいか、という問題がある。

異論はあろうが、右のような場合、金融政策では十分対処し切れないことが明白でも、状況に応じ金融引締めの強化または金融緩和の措置を講すべきである、と思う。財政政策も、規制緩和などの構造政策も、体質的、制度的に発動が遅れがちであるが、経済情勢は流動的である。たとえ最善の政策ではなくても、発動可能な政策を早めに実行に移すほうが、景気や物価の振幅をなだらかにするために有効である。

いずれにせよ、中央銀行は、形式的に財政赤字からの独立を維持することはできても、財政政策の影響から逃れることはできない。むしろ、その影響の方向や程度に応じて、機動的に対処することが、金融政策の宿命でもあり、真骨頂でもあるというべきではなかろうか。

なお、欧州連合がマストリヒト条約上、統一通貨への参加の条件として財政赤字の対GDP比の上限を定めているのは、適切な金融政策、健全な統一通貨の価値の維持のために、財政政策からの混乱要因を予防しておこうとの配慮からでたものであろう。

2014年7月5日土曜日

深刻な地方財政危機

医療分野の不合理な規制によって、介護労働が歪められている。たんの吸引や経管栄養などの行為は「医療」行為と見なされ、医者の指示さえあれば家族や訪問看護婦はできるが、毎日通ってくるホームヘルパーはできないといった矛盾が多数発生している。本来なら、こうした領域は規制緩和して医師会の供給独占を打ち破りながら、同時にホームヘルパーを中心にして、介護労働にたずさわる人々に対する資格制度や職業訓練などの整備を急がなければならない。

いずれの問題も、医師会の既得権利害が絡んでいる。本来なら、地域医療センターを中心にして、医師・訪問看護婦・ケースワーカー・ホームヘルパーなどが連携をとって、寝たきりにさせない予防医療体制を構築するのが正しい政策である。それこそが、人々を寝たきりにさせないがゆえに、最もコストを低下させる効率的な方法だからである。ここでも福祉の将来ビジョンが決定的に欠如しているのである。

このように、さまざまな問題を抱えたまま、長期停滞局面が続いている状況の下で介護保険制度が失敗すれば、社会保障制度に対する信頼は地に落ち、一層の将来不安が増幅されるに違いない。税源の移譲が不可欠である。地方行財政分野でも、セーフティーネットの張り替えを急がなければならない。

ところが、地方財政は、依然として国の誘導政策にしたがって効果の薄い公共事業に動員され続けている。そのため、地方財政赤字の膨張は未曾有の規模に達している。国の公共事業政策に振り回された結果、地方の債務残高も九九年末で約一七六兆円(GDPの約三五・四パーセント)に達すると予想されている。そのため、地方財政の危険信号を示す公債費負担比率(一般財源に占める公債費の比串)が一五パーセントを超える地方団体数は、九二年時点で一〇六五団体であったのが、九七年度末の段階で一八五三団体つまり地方自治体の半数をはるかに上回るようになっている。

中でも、リゾート法や企業誘致のための工業団地造成を行ってきた地方自治体、あるいは政府の景気対策に協力して公共事業とりわけ地方単独事業(地方独自で行う公共事業)を増加させてきた地方自治体の財政が悪化している。また法人二税(法人事業税と法人住民税)の税収の落込みの激しい大阪府・神奈川県こに指定される寸前になっている。

2014年6月20日金曜日

ODA資金をNGOに流す方針

日本のNGOにも実に大きな幅があり、その理念や活動は市民の監視の目にさらされて当然である。NGOはまだあまりにも日本社会の中でひ弱な存在と見られているせいか、きびしい批判にさらされることもなく、NGOをもっと強くすべきだという議論は高まっても、どんなNGOをといった論議にはならない。

こうした状況の中で、東京を中心に十一のNGOが集まって八七年に「NGO活動推進センター」(JANIC)を発足させた。外務省から「NGOが連合体を作ればODAの資金を出すから」と受け皿作りの働きかけもあったからだという。それより先に関西国際協力協議会を作っていた関西方面のNGOは自主性を重んじたいとこれには参加せず、「関西NGO大学」を開いたり独自の活動を続けている。

ODA資金をNGOに流す方針のもとで外務省は、「NGO・ODA連携策に関する調査研究」をオイスカ産業開発協力事業団の渡辺忠元事務局長、JANICの伊藤道雄事務局長、松井謙東京国際大学教授らに依頼した。八七年にまとまった報告書の中で、オイスカの渡辺氏は「外務省とNGOは協力して官民一体の機運を盛り上げ、ODAとのからみで外務省主導の開発教育をすすめるべきだ」と提言し、松井氏は「NGO・ODA連携強化を進めてゆくうえで政府系半官半民型NGOを支援することが望ましく、信頼に足る優良NGOを選定することが必要だ。ODA批判論を封じ込めるためには開発教育型NGOを支援すべきだ」と提案している。外務省のNGO活用政策の背景にある官民協力的発想が垣間見える。

外務省は、八九年度からODA資金をNGOに流す政策に踏み切った。一つはNGO事業補助金として、日本のNGOの海外プロジェクトに初年度一億一千六百万円を計上し、もう一つは。小規模無償資金協力制度で、第三世界のNGOに日本大使館を通じて資金を出す制度で初年度の予算は三億円たった。ただ、民主主義の伝統があり、政権交替もある西欧の政府と違って、先に述べた通りNGOを選別コントロールしようとする外務省など日本政府の姿勢のために、ODA資金を受けるべきか否かNGOで厳しい議論が巻き起こった。

結局JVCなど十五のNGOが二十三の小規模プロジェクトに交付を受けたが、日本企業を利するための政府のODA政策に協力したくないと、受け入れを拒んでいるNGOもある。現在、活動資金が最高でも三億円(JVC)、半数は五百万円以下という財政的に弱体な零細NGOが多い日本の現実では、ODA資金を受け入れたために、政府に対してどれだけ自立性を保ち得るかが問われているのだ。もっと幅広い市民の支持基盤を作らなければ、政府の援助政策の下請けになりかねない。

2014年6月6日金曜日

運動のすすめ

最大酸素摂取量の五〇%(軽く息かはずむ)程度の強さで四肢筋肉を使う動的運動(等張性運動)を週に四~五日続けると、最高、最低血圧ともに数ミリメーター水銀低下することが示されています。一日一五〇~二〇〇キロカロリーの運動により虚血性心臓病のリスクが減り、身体活動が多いグループは少ないグループに比べて高血圧症の発症が三五~五〇%少ないことも証明されています。このように習慣的な運動に血圧を下げる作用のあることは明らかです。

運動の種類には、動的運動(等張性運動)と静的運動(等尺性連動)の二つがあります。前者は、全身を使って行う律動的な筋肉運動で、歩く、走る、泳ぐ、サイクリングなど、ふつう運動といっているのが等張性運動です。後者は。筋肉を伸展、屈曲させずに力をいれる運動で、重量挙げやものを強く握るなどがこれにあたります。この等尺性運動は運動時の血圧上昇の程度が大きく、高血圧の人に好ましい運動ではありません。

福岡大学の荒川規矩男教授らは、運動中にとなりの人と話をしても息苫しさを感じない程度のゆるやかな運動(ふつうのジョギングより遅いペース)を週三回以上、毎日あるいは隔日に一回最低三〇分、可能ならば一時間程度行うと血圧が下がってくることを明らかにしています。運動時の脈拍数は毎分一〇〇~一一〇程度が目安になります。この程度の運動ならば、血液中の乳酸濃度が上がらず、強い疲労感もないはずです。

運動中は交感神経のはたらきが高まって血圧が上がりますか、運動を続けていると日常の血圧は低く維持されるようになります。運動の継続によって、血圧を下げる物質(降圧物質)であるプロスタグランデイン、タウリンなどが増え、血圧を上げる物質(昇圧物質)が減ることが示されています。合併症のない軽症、中等症の高血圧症の場合は、心臓などの必要な検査をおこない、運動が禁忌でない場合は、まずゆっくり歩くことからはじめて、だんだんとスピードを上げ、それを一生つづける心構えが必要です。

2014年5月23日金曜日

デュルケムの『自殺』

社会学の歴史を考える上でどうしても無視することのできない人物の一人に、エミール・デュルケム(Emile  Durkheim 1858-1917)というフランスの社会学者がいる。デュルケムはマルクスと同じようにユダヤ人で、ラビと呼ばれるユダヤ教の司祭の家系の出身である。マルクスの場合は、彼の父親の代でユダヤ教からキリスト教に改宗して、ゲットーと呼ばれるユダヤ人の居住区から一般人の社会に出た。

これに反してデュルケムの場合は両親ともラビの家系で、デュルケム自身もユダヤ教の司祭になることを、期待されていた。しかし幸か不幸か彼は幼いとき、カトリック信者の家庭教師の影響を受け、結局ラビになることを止めて、社会学者として名をなすことになった。このようにデュルケムは確かにユダヤ人であった。しかし彼は十九世紀後半のフランス人として、当時のフランス社会の混乱を深く憂慮した。そこで彼はフランス社会の混乱をなんとか正したいと考えて、社会の統合の問題を、一生追い続けることになったのである。

このような背景を持ったデュルケムの重要な著作の一つに、一八九七年に出版された『自殺』という書物がある。数量的研究の古典としても名高いこの書物は、同時に彼が一生追い求めた、宗教と社会的統合との関係を主要なテーマとしている。彼がこの書物でまず問題としたのは宗派の別によって、自殺率が異なるという事実であった。すなわちフランスに限らず他のヨーロでハ諸国においても、プロテスタント信者の方が、カトリック信者より多い。この表にも明らかなように、宗教的宗派と自殺率とは、宗教が原因、自殺率が結果という関係にある。そしてプロテスタント信者は自殺率が高く、カトリック信者は自殺率が低いという関係を示している。

デュルケムのこの研究について重要なことは、以上のような宗派と自殺率との関係の背後に、社会の統合に関する理論があったことである。つまり社会的結合の高い集団の場合、この成員は集団の結束力に守られて、孤独な不安感から逃れることが出来る。これに対して集団の結束が低い場合、集団の成員は当然、孤独で不安が高い。ここで重要なことは抽象度の異なるこの二組の関係が、互いに重なり合っていることである。

社会的結合という「概念」は、宗派という「作業定義」によって具体化されている。この図を縦に見るとそこでは「高い」社会的結合は、厳格な教会組織を持つ、カトリック教会によって代表される。またこの図には示されていないけれども、当然「低い」社会的結合は個人の自由度の高い、プロテスタント教会によって代表さている。同様に不安という「概念」は自殺率という「作業定義」によって、代表される。

2014年5月2日金曜日

運のまにまに

これからは若葉の季節である。私の仕事場のある表参道の並木の新緑が、日を追って萌える。そこに、茶髪の若者たちが群れる。あの若者たちも、それなりに、美しく生きることを求めているのだろう。美しく、などということではなくて、私などには想像のつかないことを求めているのかもしれない。

あの人たちは、普通の生活など、つまらないものに思っているのではないか。普通で平穏なことのありがたみなど、考えられないのではないか。若者にはそれが自然であるかもしれない。最近、茶髪が流行している。スポーツの選手にも、染めているのがいる。五十、六十の女性にも、染めているのかいる。

あれは流行である。甲子園球児の丸刈が話題になったことがあるが、丸刈は強制である。流行であれ、強制であれ、日本人は横並びになる。人の数だけ人生かある。その人生は、人ごとに違うというのに、本人は揃いたがる。美しく生きる、などということは、自分だけのものである。この地球には、六十億の人が住んでいるというから、六十億の人生があり、六十億の美しい生き方があるはずだ。

私には私だけのことしか言えないが、私は普通で、平穏で、適当にろくでなく、適当にを愛せば、それでよく、それができればありかたいことだと思っている。 普通で、平穏であることは、さほど容易なことではない。人は、稜滑であり、怯儒である。妬心や虚栄心からなかなか脱出できず、俗欲にとらわれがちである。それを払拭できなくともよい。そういうものをあしらいながら、美しいものを求めればよい。それが、普通であり、自然である。

気張ることはない。自分の求める美しいものは、自分だけのものである。人に見せる必要はないし、見せようとすれば、美しいものは梗せてしまう。美とはそういうものだと思っている。普通とは、平凡でだらけることではない。見てくれがないことである。自然体で充実す ることである。平穏は、運に恵まれないと維持できない。

2014年4月17日木曜日

中国の指導者の特徴

重工業化のほうは、うまく実現されたのであろうか。中国が実現した重工業化の量的実績にはたしかにみるべきものがある。ちなみに、機械、金属、化学の三部門の生産額の工業総生産額に対する比串を重工業化串とすると、開発途上国のなかでこの4率を顕著な速度で高めた代表国は、韓国である。

中国の同比率を韓国のそれと比べてみると、少なくとも一九八〇年までは前者の方が後者を上まわっていた。一九八〇年の一人当たり所得水準は、韓国が一六三〇ドルである一方、中国のそれは三〇〇ドルに過ぎなかったのである。この数値にあらわれる発展段階格差にもかかわらず達成された中国の重工業化率には、いちじるしいものがあった。

中国の指導者は、重工業化の実現に威信をかけ、ともかくもその量的拡大に向けて「冒進」する傾向をつねにもっていた。一五年でイギリスの粗鋼生産量に追いつくことが大躍進期に標榜され、一九七八年の経済発展一〇ヵ年計画では、今世紀中に先進国水準に達するという目標を表明した。

そうした指導者の「冒進」傾向は、中国のような「集権的・物量的」計画経済のもとにあっては、重工業部門の投資規模を極限にまで押し上げていく傾きとなってあらわれた。すなわちこの社会においては、国家主管部門が国営企業に対して鉄何トン、綿花何トンといった「物量」であらわされた指令制目標を「下達」する一方、この指令制目標の達成に要する原材料、エネルギー、機械・設備、労働者の賃金は、そのすべてが国営企業の主管部門から供給されるという、「集権」的計画のもとにあった。