2013年12月25日水曜日

CPIの計算方法

ユニット・レイバー・コストとGDPデフレーターは四半期(三ヵ月)に一度しか出ないので、直近の物価の動きをみるのには適していません。ですから、毎月発表されるCPIで物価の動きをおさえます。とはいえ、一応この三つで動きをみるというのが常識です。ちなみに、この三つのうちでどれを一番重要視するかというと、GDPデフレーターになるでしょう。さて、CPIには、コアCPIとコアコアCPIというのがあります。ややこしいんですけど、コアCPIは、CPIから生鮮食品を除いたもので、コアコアCPIは、CPIから酒類を除いた食品とエネルギー価格を除いたものです。

何でこんなものがあるのかというと、天候に左右されやすい生鮮食品や原油価格の影響を受けるガソリンなどの影響を取り除き、核となる物価を把握しやすくするためです。そもそも海外では、コアCPIというと、CPIから食料(酒類を除く)とエネルギーを除いたものでした。ところが、日本でコアCPIというと生鮮食品を除いた指数のことです。海外と日本ではコアCPIの意味が違ってたんですね。で、日本ではコアのコアという意味で、コアコアCPIと呼ぶんですが、今はちゃんと毎月発表されています。先ほど、二〇〇八年九月のCPIをいいましたが、コアとコアコアもいいましょう。

コアCPIの指数は一〇二・六で前月と同水準、前年同月比は二・三%の上昇です。コアコアCPIの指数は九九・六で前月から○・一%の上昇、前年同月比は○・一%の上昇です。先ほど、CPIは二〇〇八年に入って前年同月比でずっとプラスといいました。実はこれ、二〇〇八年に値上げが顕著だった食料とエネルギーのおかげだったのですね。その影響を取り除くと、ゼロ近辺をうろうろしていることになります。要は、CPIではなく、コアコアをみないと物価の状況はよくわからないんです。逆にいえば、コアコアだけをみて、コアコアが大きくプラスになるまで金融緩和をすればいいということなんですね。

GDPデフレーターが一番いいとしても、毎月統計が出ません。しかし、コアコアCPIは毎月公表され、GDPデフレーターと似た動きをします。というわけで、コアコアは重要なわけです。あと、CP-には実態よりも統計数値が大きく出てしまう上方バイアスがあります。高度成長期のように、物価上昇が著しいときならば多少の上方バイアスは問題にならないんですが、いまのようにCPIの変化幅が小さいときには大きな問題になってきます。本当は○%なのに上方バイアスのせいでI%と出てしまったら、適切な金融緩和策を行えず、ますます景気が悪化してしまいます。ですので、CPIをみるときにはこのことをつねに念頭においておかなくてはなりません。

さて、なぜ上方バイアスが発生するのでしょうか?先ほどCPIの計算方法を説明しました。それは、それぞれの製品やサービスについて、基準年の支出割合に、毎月の平均価格を掛け、全体を足して求めるというものでした。しかし、ちょっと考えるとわかるのですが、基準年で安かった製品やサービスの支出割合はその後増え、基準で高かった製品やサービスの支出割合はその後減るはずです。でも、基準年の時点の支出割合で計算するので、安かった製品やサービス支出割合は低いまま、高かった製品やサービスの支出割合は高いまま計算されます。

その割合を実情に合わせて適宜変えることができれば、ぴったり合うのですが、基準の改定は五年ごとです。本当なら安い製品やサービスほど割合を大きくしなければいけないのですが、基準年の割合で計算するから、やや高めの数字が出ます。上方バイアスについては、ほかにもいくつかの原因があるといわれています。CPIでは、テレビやパソコンなど、製品の性能が上がるとその分価格を下げて調整します。そうした製品に対する調査が不十分なため、一・八%の上方バイアスがあると、コロンビア大学のデビッドーワインシュタイン教授は指摘しています。

2013年11月5日火曜日

一九九八年の政治改革

まず一九八一年には、全国の二〇県(ソンカク)に県発展委員会を設立し、県内の開発優先事項を自ら決定する権限を与えるという地方分権化を始めた。そして一九九一年には、全国の二〇〇村(ゲオ)に村発展委員会を設立し、この自決権限を村レベルにまで広めた。そして国会議員の選挙は、一村を一選挙区(人口が少ない地域では、数村で一選挙区)とし、選挙区ごとに国会議員を一人選出するという体制が打ち立てられた。こうして選出される国会議員は二一〇人ほどで、ブータンの人口は約六〇万人であるから、全国平均で四〇〇〇人(成人人口にすれば二〇〇〇人程度)が自らの代表として一人の議員を国政に選出することになった。ブータンには政党もなかったので、民意の反映ということからすれば、限りなく直接民主制である。国王の意図は、国民に参政意識を芽生えさせ、主権者としての主体性を高めることであった。

そして一九九八年六月二六日で第一八一回閣僚会議の冒頭、第四代国王は、閣僚会議の解散を宣言した。この閣僚会議は、国家元首であり政府首脳である国王が議長を務め、大臣、副大臣、次官数人、および王立諮問会議委員から構成される政府の最高決定機関である。三日後、六月二九日、第七六回国会の冒頭で、国王は電撃的な声明文を読み上げた。国王は、政府首脳としての行政権を放棄し、それを閣僚会議に委譲し、閣僚会議は国会が選出する大臣で構成され、その第一回選挙は今国会中に行うこと、閣僚会議の機能・権限に関しては、その草案を次期国会までに作成し、次期国会で審議・採決すること、国会は三分二の賛成で国王罷免権をもつこと、の三点を柱とする抜本的な政治改革を提案した。

青天の露朧ともいえるこの声明文に、閣僚会議も国会も動転した。長年国王にもっとも親しく仕えてきた大臣が国王に直訴し、政府首脳を辞すことだけは思い留まってほしいと嘆願した。そのとき国王は、「わたしの即位以来、わたしに最も近かったお前が、そんなことを言うとは、お前はわたしが長年意図し、その実現のために努めてきたことを何も理解していなかったことの表明であり、悲しい」と一言述べられた。これは、閣僚、国民の誰一人として夢想だにできなかったほどに先を見据えた国王の先見性を物語っている。この大臣は、「このときわたしは、親から見捨てられた子どものように途方に暮れた」とわたしに述懐した。このときのブータン政府は、言ってみれば国王という親に養ってもらってきた「乳飲み子」であり、政治的にまったく未熟であった。

国王罷免権については、すでに第三代国王の時代に前例があるとはいえ、当時の国会議員の大半は夢想だにできず、国王に提案撤回を要求した。しかし国王は、この提案は長年にわたって、自分が熟考に熟考を重ねた結果であり、将来の国益につながるとして、頑として撤回しなかった。数日にわたる、かつてない活発な論議の末、国会は国王の提案を受け入れた。というよりは、国王の意向であるから、あえてそれを拒否はできず、尊重した、というのが実情である。国民の政治意識、主体性は、国王が期待したほどには高まっていなかったことを物語っている。

大臣の選出は、初めてということもあって、国会の要請で、国王が候補者を指名し、その各々にたいして、国会が適不適の投票をすることになった。六人が候補者に挙げられ、選挙の結果、全員が過半数の得票で選出された。閣僚会議法および国王不信任投票に関しては、法案作成委員会を設け、次期国会で審議・議決することになった。七月二〇日、国会により新たに選出された大臣六人、同じく新たに選出された王立諮問会議委員、高等裁判所長官を構成メンバーとする、新しい制度のもとでの第一回閣僚会議が開かれた。その席上で国王は、その議長=政府首脳職を辞し、自分は国家元首として、国の独立・安全と国民の福祉の確立・保護を任務とすると言い渡した。

2013年8月28日水曜日

美しい町並みこそ観光資源

都会からやってくる観光客がもっとも気にするのが衛生施設だ。少なくともトイレと風呂だけはホテル並みの、いわば民宿ホテルとも呼べる施設である。外見は古民家だが、中に入ると高級ホテル並みというわけだ。もちろん建物自体も、台風などにト分に耐えられるように補強しなければならない。おそらく新築の家を建てるより費用がかかるだろうが、古民家に泊まる感覚を味わってもらうためには新築では駄目なのだ。ホテルの管理は専門家に依頼してもいいが、働き手はすべて地域の人に任せることだ。接客も特別なことをせず、地元の人たちが普段もてなすような接客がいい。さらに食材はすべて地元産を使用し、料理も地元の人が食べるものをペースに、あとは見せ方を工夫すればいい。

こうすれば、観光客の落とすカネは、従業員や食材を提供する農家などを通してまんべんなく地域に落ちる。ただし、これは一軒だけでは駄目だ。何軒か集まって小さな集落にすれば、そこに沖縄の空気が生まれる。これが大事なのだ。こんなところに団体客は泊まらないだろう。個人客にのんびりと滞在してもらい、時間があれば地元を散策してもらう。これは別に私のアイデアではなく、愛媛県内子町で実際に築八〇年の民家を移築し、用地取得費も含めて七千五百万円弱をかけて「石畳の宿」という民宿ホテルにして成功した例を元に、私自身が泊まってみたいと思うホテルをアレンジしながら話しただけのことである。

ところが、肝心の職員は、まったく興味がないらしく、退屈しているのが手に取るように伝わってくる。それで私は逆に訊いた。「どういうホテルを考えているんですか?」その職員は恐縮したように言う。「民家を使ったホテルってことは、それって民宿でしよ? 私たちが考えているのはコンクリート製の立派なもので、そういうホテルに観光客を呼ぶにはどうすべきかをうかがいたかったのです」このときは何かとんでもない間違いをしでかしたような気がしたのだが、後日『美しき日本の残像』(アレックスーカー著)に次のような一文を見つけ、決して間違ってはいないことを確信した。

〈先日、タイのプーケット島に新しいリゾート建設を見に行きました。まずインドネシア人が開発したプロジェクトを見ることができました。シュロの森林をほとんどそのままにして、お客さんの部屋はその中にほとんどおとぎ話の世界のように一軒一軒散らばっていました。建築は全部木材で、タイ、中国、日本の伝統建築の良さを研究した上で設計されたものです。入口には看板がありませんでした。次に日本のプロジェクトを二つ見に行きました。本を全部伐採して、山をペチャっと、真っ平らにしています。建物は暑苦しいコンクリートづくりで、一応タイースタイルですけれども、建築者は明らかにタイの伝統建築に無知でした。かつて日本人が持っていた「木の文化」や「自然との調和」といった繊細な感覚は、戦後六〇年ですっかり消えうせ、コンクリートや大理石を使った建物こそ高級ホテルだと思いこむようになったのはなぜだろう。

沖縄も、この毒に犯されているのだ。哲学を持だない日本人は、大量生産、大量消費のおかげであらゆるものを均質化していった。人の持っているもの、着ているもの、住んでいる家、そして風景までもがのっぺりした平板なものに変わっていったのが高度成長期以降のことだ。復帰後の沖縄もそれに似ていた。かつての沖縄には本土とは違う確固としたオリジナルな文化があった。そこに本土の経済力が怒濤のように流れ込み、津波に呑みこまれるようにして、沖縄の本土化か進んでいくのである。沖縄の町並みが、本土の町並みと平準化したことを感じたのが「おもろまち」たった。かつておもろまち一帯が返還された頃、沖縄県の都市計画に関わっていた方と議論したことがある。沖縄の基幹産業が観光であることを前提に、町づくりはどうあるべきかといった内容だった。

そのとき、私か考えたのは、住民が住みやすく、働きやすく、それでいて沖縄にやってきた観光客が、「ぜひ泊まってみたい」「散策したい」と思わせるような伝統的景観の町たった。美しい自然には、美しい町並みがよく似合う。そこには調和があるからだ。美しい調和があればやすらぎがある。両者がほどよくバランスがとれたとき、光はもっとも美しく輝く。観光とは、その光を見せることだと思う。沖縄戦で破壊されるまで、首里の町は京よりも美しいと言われた。京の町並みは、道路が碁盤の目のように走る「直線の町」とすれば、首里は曲がりくねった石垣の道が走る「曲線の町」だ。おそらく自然の地形にあらがうことなくっくられたからだろう。その美しさに惹かれて本土から文人たちが続々と沖縄にやってきたという。美しい町並みは観光資源なのだ。

2013年7月4日木曜日

消費性向の高い年齢階層

民間企業の場合には、消費性向の高い年齢階層に所得が回らない限り、売上増加がなかなか見込めません。より困っている方が自ら動く、これが市場経済の基本です。「景気対策といえば政府がやるもの」という固定観念を植え付けられている多くの論者は、市場経済を生きる資格がありません。ですが、直接に財政を痛めずとも、政府にはできることがあります。生前贈与の促進です。 先ほど日本人の相続(受け取る側)の平均年齢がもう年金受給年齢に入った六七歳であるという話を申し上げました。これでは、受け取った側か相続財産を旺盛に使うことは望めません。何かあったときの保険として貯金を殖やし、結果的にはそのほとんどの方が大幅な使い遺しをして亡くなる。その相続人がまた平均六七歳で相続をして貯金をしてそういう連鎖を少しでも断ち切るために、生前贈与を促進する策を取って、一気に若い世代への所得移転を進めるべきなのです。

促進策としては、「〇〇年以降、金融資産や貴金属の相続に関しては、相続税の基礎控除額を大幅に減らし、課税対象拡大部分に対応した最低税率は低く設定する一方で、最高税率は上げますよ。お困りの方はそれまでに生前贈与をしてはいかがですか」と宣言するのが効果的ではないでしょうか。九〇年代以降の減税の結果、相続税を納めるのは相続人の四%少々にまで減り、納税額も年間一二」兆円程度にとどまっているそうですので、これを再拡大しても理不尽とは言えますまい。実際に(旧)税制調査会もこのところそのように答申をしていました。また私の案では、課税拡大対象は金融資産や貴金属ですので、不動産を泣く泣く手放すという事例の増加にはなりません。むしろそれで不動産に資産が逃避すれば、内需拡大にもつながります。

またこれまで相続税支払いを免れていた普通の中流の小金持ちにも若干の税金がかかるようになりますが、最低税率は五-一〇%程度と思いきり低くすれば国民生活への実害は少なく、他方で十分に生前贈与促進効果があると思われます。ところがこの生前贈与促進については、「それだけでは、たまたま親が豊かな若者しか潤わない」という反論を受けたことがあります。その通り。実際には普通の中流層が数百万円を子供に渡すだけでも大きな効果がありますので、大金持ちだけを念頭に置いているわけではまったくありませんが、「数百万円をいま子供に渡すなんて夢のまた夢」という普通の暮らし向きの人も多数いらっしゃるでしょう。

ですが、私かここでお話ししているのは日本経済の活性化策、具体的には個人消費の増加策であって、直接の格差是正策ではありません。むしろ高齢富裕層が死蔵している貯金のいささかでも若い相続人の手に渡って消費に回れば、その分企業の売上が増え、まじめに働いている若者にも給料という形で分配されます。たまたま親が豊かな若者とそうでない若者の「格差」は是正されませんが、親からの財産相続が期待できない若者でも、自分の給料が上がれば絶対的な生活水準は上がります。ある高名な経済学者(私とは異なるご意見を多々おっしやっている方ですが)が、ある雑誌で、「問題は格差ではなく貧困だ、格差解消ではなく貧困解消が大事なのだ」と書いていました。

まったくおっしゃる通りだと思います。「相対的な格差はないけれども皆が貧乏だ」という、キューバやブータンのような状態になれというのは困難ですよ(残念ながらキューバでもブータンでもむしろこれから経済活性化に伴って格差が拡大してしまうのです)。そうではなくて、格差はあるかもしれないが、仮に底辺層であっても少なくとも普通に人間らしい生活が送れ、普通に子育てもできる(さらにこれは私の年来の持論ですが、子供世代に対しては親の収入にまったく無関係に機会均等が保証されている、逆に言えば親が金持ちでも子供はそれだけで有利にはならない)ということが重要なのです。格差是正ではなくて、一定の絶対水準以下に落ち込んだ社会的弱者の、人間としての最低限ラインまでの救済こそが必要です。当然そこまで落ち込んでいない人との格差は残りますが、少なくとも「貧富の差に関係なく受けることのできる教育と平均寿命は違わない」というようなところが目指すべき水準になるのではないかと思っています。



2013年3月30日土曜日

オートマティック機能を満載した近代カメラ

良い写真とは、そこに写っている世界に入ってみたくなるような、あるいは、知らないうちに、われを忘れて写真と話し込んでいるような、画面の中からいくつもの言葉が聞こえてくるような写真のことをいうのではないでしょうか。ところで、長いこと写真を撮っていると、ちょっと変わった体験をすることがあります。自分の撮ったネガの中に、なぜこんなものが写っているのか分からないというコマが混じっていて、それが意外に面白い写真だったりします。これには、いくつかのことが考えられます。たとえば、あるカットをあるシャッタースピードで撮ったあと、条件の違う別の場面で、うっかりそのままのシャッタースピードで写してしまった場合などです。

具体的な例でいえば、ある人物を室内で十五分の一秒で撮ったあと、明るい廊下に出て歩いているところをカメラに納めたが、絞りにばかり気を取られていて、シャッターはそのままで撮ってしまった。あるいはストロボを焚いたが、シャッタースピードが遅かったので背景がブレた、といったようなうっかりミスのケースです。または、教会で新郎新婦が人垣の間を歩いてくる様子を連続して撮っていて、自分の前を通過する瞬間、近すぎてダメだと思ってカメラを目から離し、ノーファインダーでシャッターを押してしまったようなとき。

あるいは、ヽ風景や人物写真を撮っていてシャッターを切った瞬間、思わぬ人や車がカメラの前を横切ってしまったとき。そのほか、カメラをバッグから出そうとしてシャッターボタンに触れてしまったり、二台のカメラを首や肩に下げて使っていて一方のカメラのシャッターを手や肘で押してしまったなど、急いでいたり焦っていたときの事故などです。写真を選んでいるときにべ夕焼きの中にこういうコマを見つけると、まず最初にルーペをそこに持ってゆきます。当然ながら、大きくブレすぎていたりピントが合っていない場合が多いのですが、中に思わぬ拾いものに出くわすことがあります。こういうコマのことを、仲間うちでは「神様がシャッターを押してくれた写真」と呼んでいました。そんな写真に出会ったときは、なぜそうなったかを思い出し、次に意識的に同じような写真を撮ってみます。

その場合{カラーで再現すると、より効果がはっきりし、面白い写真ができます。夕景や夜景をバックに人物を撮るとき、スローシャッターにしてストロボを焚き、わざとカメラを動かして背景をブラしたり、レンズをズーミングさせながらストロボを焚いてやると、ちょっと変わった写真が撮れます。失敗の経験も上手に使えば、単純な被写体を面白くすることもできるのです。以前は失敗を繰り返すことで撮影のノウハウを蓄積していったものですが、いまのカメラには、さまざまなケースにも対応できる機能が内蔵されているので、説明書通りに操作さえすれば、昔は神様がシャッターを押してくれたと思っていた写真も、誰もが間違いなく撮れるようになりました。そのかわり、失敗のたびに神様が与えてくれるヒントを頼りに、工夫を凝らす楽しみはなくなったともいえます。登山のつもりが、いきなりヘリコプターで山頂に運ばれてしまうようなものです。

もしお手許に、父親や祖父が大事にしていたカメラがあったら、一度、挑戦してみたらどうでしょう。昭和四十年代初め頃までにつくられたカメラで、まったくオート機能の入っていない、いまや「クラシックカメラ」と呼ばれているアレです。露出が心配だと思われるかもしれませんが、白黒やネガカラーフィルムなら、ほんの少し要領さえ覚えれば、さして心配はいりません。まずは数本撮ってみてください。オートマティック機能を満載した近代カメラが撮った、きれいに揃ったネガよりも、露出に多少のデコボコはあっても、写真の面白さや楽しさが味わえるはずです。