2015年9月8日火曜日

「イスラム系への差別」

ナチス党員のみが非道な行いをし、ドイツ軍や民間から徴兵された兵士たちは戦地でもモラルを守ったというふうに、ナチスのみが悪者にされてきたが、1955年ころからはドイツ軍がナチスに協力し、民間人を率先して殺害したなどの事実も徐々に明らかにされ始めたのだ。前出のフィッシャー元外相の調査により2010年には外務省の関与が周知のこととなり、詳細は『外務省と過去第三帝国と連邦共和国のドイツ外交官』という約900ページもの本にまとめられ、書店で買い求めることができる。

外交官というエリートが戦時中に事実を知っていたことは、多くの市民にショックをもたらした。外交官は清廉潔白のイメージがあり、関与しているとは思われていなかったからだ。市民はナチス幹部のみが状況を把握していたのだ、と思いたがっていた。細かいことを言えば、強制収容所を視察した費用を経費精算していた外交官もいたから、それを処理した経理担当者も知っていたことになる。決して少なくない数の外交官がナチスに関係していたにも拘わらず、戦後もキャリアを築いていった。しかも戦後しばらくは国外に逃亡したナチス関係者に対して、どの国でナチス犯罪者が逮捕されるかの情報を外務省が出していた。国が犯罪者を保護していたとは驚きである。

2011年4月、この章の冒頭でご紹介した「ヒトラーとドイツ人」展の後にベルリン歴史博物館でひらかれたのは「秩序と絶滅 ナチス国家の警察」という展示だった。警察のナチス関与についての包括的な展示は初めてで、一部にせよ警察官が積極的にナチスに協力していたことは大きな驚きをもたらした。5ヵ月で5万5000人が訪れた。ドイツでは、ナチス時代の戦犯を時効なく裁いている。戦後アルゼンチンで暮らしていたために裁判を逃れていた党幹部ヨーゼフーシュバムペルガーは1990年にドイツに帰国。強制労働の施設で3000人以上のユダヤ人を殺害した責任があるとして、1992年に80歳で、641件の罪により立件された。裁判には学校の授業の一環として、生徒たちが傍聴に訪れた。生徒たちはすでに強制収容所を2ヵ所訪問していたが、ナチスは本の中だけではないのだと改めて実感したと話していた。下された刑は無期懲役だった。

ナチスの関与がいまだ解明されていないとされる分野もある。例えばドイツ鉄道。戦後民営化されたが、戦時中はユダヤ人移送に大きな役割を果たしていた。多くの人が強制労働に駆り出された農業省の役割も明らかでない。2001年から2005年まで農政相を務めた緑の党のキューナスト氏が当時、調査を依頼。調査は終了したといわれているが、いまだ公開されていない。そのほか、建設省や教会の関与も示唆されているが、正式な調査や報告はない。ただ、このまま調査が進めば最終的には「人々がどれだけ知っていたか」が問われることになるだろう。すでに調査済みのものが明かされないのには、このあたりに理由があるのではないだろうか。

戦後トルコやギリシヤ、イタリアなどから出稼ぎ労働者を受け入れてきたドイツは、現在人口の約1割が移民またはその子孫であり、うち半分に当たる約400万人がイスラム系である。なかには何十年もドイツに住んでいてもドイツ語を話さない人もおり、「男尊女卑」と見える文化宗教を持ち続けるイスーフム系住民には特に、社会の「お荷物」として排斥の風潮が強まっている。なかでも娘を同族と強制結婚させたり、ドイツ人と付き合ったからといって殺したりする「名誉殺人」事件は、メディアでもよく取り上げられる。