2014年12月9日火曜日

アメリカがライバルを育てた

歴史の教訓は、はっきりしている。軍事力は経済力が衰えたあともしばらく維持できるかもしれないが、最終的には基礎に強い経済力がなければ軍事力は維持しきれないのである。湾岸戦争におけるアメリカの勝利は、二一世紀にもアメリカの軍事大国としての地位が不動だろうということを意味するだけで、アメリカが二一世紀にも経済大国の地位を維持できると言っているわけではない。

第二次世界大戦が終盤を迎えたとき、日本とドイツの経済をどうするかで戦勝国どうしのあいだに激しい議論の応酬があった。ローマがカルタゴに勝ったあと畑地に塩をまいてカルタゴの経済を二度と芽が出ないよう破壊しつくしたのにならって、日本とドイツの経済も徹底的に叩きつぶしてしまえという声もあった。ドイツのほうが日本より先に降伏したので、ドイツでは実際に組織的な産業基盤の破壊がある程度おこなわれた。とくにロシアによる東ドイツ地域の破壊が著しかった。しかし最後には、どこまでも人の好いアメリカの主張が勝った。

経済的に豊かにしてやれば民主主義陣営に加わるだろう、アメリカに商品を買ってもらわなくてはならないとなればアメリカの味方につくだろうと、これがアメリカの論理だった。この単純素朴な論理にもとづいて、アメリカは第二次世界大戦で荒廃した国々に敵味方の別なくマーシャループランを提示したのだった。マーシャループランはソ連や東欧の共産圏諸国にも差し伸べられたという事実を、とくに指摘しておきたい。だが、アメリカが申し出たマーシャループランを、元帥スターリンははねつけた。

第三世界の貧しい国々に対する援助も、同じ発想から生まれた新しい試みだった。第二次大戦前の植民地主義の世界では、第三世界の国々は自国を豊かにするための存在でしかなかった。植民地経営がはたして経済的にプラスだったのかどうかについては歴史家のあいだでも見解か分かれているが(利益よりも植民地を維持する費用のほうが余計にかかったのではないかという説もある)、植民地支配の目的については疑う余地がない。自分たちが豊かになるために植民地の富を搾取するのが目的だったのである。

第二次世界大戦後の経済成長の数字は国によってさまざまだが、成功例のほうか失敗例よりもはるかに多いことはまちがいない。先進国からの援助と輸出品を買い上げてくれるアメリカ市場のおかげで、第三世界の国々のほとんどが一九五〇年から一九八〇年にかけて史上空前の経済成長を達成した。ほんの一〇力国あまり(ほとんどかアフリカの国)を除いて、インフレ修正後の一九八〇年の国民生活水準は一九五〇年の水準よりはるかに向上している。