2015年10月8日木曜日

集団行動の統制がほとんど取れていない

私は、スマンギ交差点からスディルマン通りを数百メートルほどの距離にある通称カサブランカ交差点へ、自宅のアパートから徒歩で状況視察に出かけた。ここでは学生の姿はあまり見かけなかったが、数百名の群衆が道路を占拠し、古タイヤを燃やしたり、警官隊に向かってときおり爆竹や火炎瓶を投げるなど騒然としていた。一九六〇年代末の日本での学生運動高揚期に似たような現場経験をもつ私は、そのころのことを思い出しながら路上観察を行った。似ているようですいぶん違うなと思ったのは、デモをする側も取り締まる側も、集団行動の統制がほとんど取れていないことである。人数だってそんなに多くはない。だから、一見すると散漫で牧歌的な印象すら受ける。だが無統制であるということは、突然何か起きるか分からないということでもある。むしろ危険だなと感じた。

翌二四日は出勤を控え、昼から前夜と同じ場所へ視察に出かけた。やはり群衆が路上を占拠しており、アトマジャヤ大学の方角からは、おそらく催涙弾のものであろう銃声がしきりに聞こえていた。いつでも逃げ込めるように、あるビルの玄関先に陣取っていた私の目前へ、警察機動隊のカーキ色のトラックが蛇行しながら近づいてきた。突然なんの前触れもなく、幌の内側から路上へ向けて威嚇射撃らしい銃撃が続けざまに行われ、群衆が蜘蛛の子を散らすように逃げまどった。おそらく実弾ではなくゴム弾であろうが、あまりに乱暴な警備方法に驚きあきれた。

これはプロの警察による警備ではなく、できそこないの軍隊が学生や群衆を相手に戦争ごっこをしているようなものだ。私はすぐにビルのなかに待避し、幸い地下で一軒だけ営業を続けていた料理店に入り込んでソバを一杯食べ、ふたたび地上へ戻った。展開していたトラックの群が移動して警備の隙ができたのを幸い、路上に出た私は自宅まで一キロあまりの道のりを駆け戻った。そこでまた驚いたのは、私のように危険な現場から遠ざかろうとする人間は皆無に近く、逆に現場へ向けて次々に種々雑多な人の群が集まってきていることであった。

群衆の動きとは逆行してアパートヘたどり着いた私は、入口にいたガードマンに現場がすでに相当危険な状態になっていることを報告し、自室へ戻った。冷房を利かせた部屋でコーヒーを飲んでいると、備え付けのファックス機が力夕力夕と鳴りはじめた。スディルマン通りの一帯が危険な状態になっているので外出を控えるように、というJICA事務所からの警告の連絡だった。「いつもそうだが、ちょっと遅いんだよね」と私は苦笑しながら独り言をつぶやいた。警告が届く前にちゃんと帰宅していたのだから、私のささやかな冒険がおとがめの対象になる心配はもちろんない。