2015年4月8日水曜日

バブル期前後の開発の失敗

集落内の人口構成は、三集落とも小さなところだから、町会長自身が頭で計算するだけですぐ分かる。だからうすうす問題があることは分かっていたが、とくにこれまでそのことを言葉にして問題化したことはなかったようだ。我々の調査に答えながら、「何かしなければならない」、この調査はそういう内省が働き始めるきっかけになった。バスは残っても、地域が残らないのではないか。高齢者の暮らしを守るだけでなく、将来のこの村を担う人材をいかに確保するかが重要なのではないか。とはいえ、少子化問題が核心だとしても、この問題には結婚や出生、就業なども絡んでいてどう取り組んでよいか分かりにくい。しかしそれでもやはり何かはしないと。こうした話し合いの結果を鯵ヶ沢町役場にも伝え、官学民連携の集落再生事業がここからスタートすることとなった。

ところで、官学民の連携と言っても、その官に当たる鯵ヶ沢町自身が、実は何か新しいことができる状態になかった。町はこのとき、財政再建団体すれすれの状況にあったのである。そしてこのことも、これらの集落の取り組みを考える場合の重要な文脈になるので、ここで鯵ヶ沢町の過疎問題とその対策について、その経緯を振り返っておきたい。鯵ヶ沢町は、青森県南西部に位置し、日本海に面した人口約一万二〇〇〇人の町である。近年は、秋田犬「わさお」でも話題となった町だ。昭和の合併前には鯵ヶ沢町、赤石村、中村、鳴沢村、舞戸村の五つの町村だった。

人口のピークは町村合併時の人口約二万三〇〇〇人(一九五五年)で、そこから一度も人口増加することなく減少を続けており、第3章で示したΛ型の人口推移を示す地域だ。一九七〇年から過疎法の指定を受けている(一時、経過措置団体。一九九〇年から再指定)。港湾機能や公共機関、商業施設が集まる鯵ヶ沢地区・舞戸地区が、都市・郊外的様相を呈しているのに対し、深谷地区を含む赤石川沿いに開けた赤石地区、中村川沿いの中村地区、鳴沢川沿いの鳴沢地区は農林業を主とした農村地帯である。これらの農村地帯は、川沿いに内陸山間部にまで集落が点在し、中村川・鳴沢川の上流部は岩木山に、また赤石川の上流部は世界自然遺産・白神山地に連なっている。

鯵ヶ沢は、近世には弘前藩の御用湊として栄えた。明治以降は鉄道の敷設などに伴って陸上交通への転換が進むが、町そのものはその後、西海岸地域の行政的・経済的中心地としての性格を強めていく。しかし、町村合併が行われた一九五〇年代から、公共機関の統合集約化が進み、鯵ヶ沢町の拠点性は弱まって町の衰退が始まった。それはおりしも、地域の主要産業である農林漁業の衰退とも重なっていた。こうした過疎化の進行を受けて、町では大規模施設の導入を進め、事態の打開を狙っていく。一九八三(昭和六三)年に七里長浜港の建設着工、一九八九(平成元)年にはリソート開発ブームに乗って鯵ヶ沢スキー場がオープンする。一九九四(平成六)年にはさらに鯵ヶ沢ゴルフ場、鯵ヶ沢プリンスホテルが建設されたが、七里長浜港はいまだ未完成。またリソート施設も、経営主体であるコクドが破綻し、現在は名称を変えて営業中である。

このような経緯を経ながら、鯵ヶ沢町はいわゆる財政再建団体すれすれのところまで行き、二〇〇六(平成一八)年に夕張市の財政再建団体入りが問題になった際にも、次の夕張としてひそかに噂されていた地域の一つとなるが、この財政困難の状況が生まれてきた直接の要因になっているのが、九〇年代に建設された、ある施設の存在である。JR五能線で、弘前から日本海に出ると、鯵ヶ沢駅に至る手前の海岸べりに見えてくる、ひときわ目立つ四角く大きな建物がある「日本海拠点館」がその問題の施設である。一九八九(平成元)年、町制一〇〇周年を記念し、町出身の有識者を招いて開催された「港町未来フォーラム」。ここでなされた提言が、「環日本海時代の到来」「観光開発」「人材育成・国際交流」でめった。

2015年3月9日月曜日

円高後悪化した雇用情勢

86年以降の円高不況の中で、雇用についてはかなり悲観的な見方が強まった。まず、雇用全体を見ると。失業率が上昇した。日本の失業率は低いことで有名だったが、87年5月には3.2%まで上昇した。日本もいよいよ高失業時代に入ったという議論も現われた。

生産現場だけでなく事務部門にまで及びはじめたマイクロエレクトロニクス技術革新が雇用機会を奪うのではないか、日本企業の海外への進出による。空洞化”が、国内の雇用情勢を深刻化するのではないかといった点も大いに心配された。労働組合が、賃上げより雇用機会の確保をという意識を強めてきたのもこの頃からであった。

また、マクロではある程度の雇用のレベルを維持できたとしても、ミクロのレベルでは労働力の需要と供給がすれ違うという、いわゆる「ミスマッチ」論もさかんに主張された。

その第一は、若年層と中高年層とのミスマッチである。日本は急速に高齢化社会に移行していくことが確実であることを考えると、もともと中高年層の雇用情勢が厳しいものとなることは予想されていたが、円高不況の中で、企業は中高年層をターゲットに雇用調整を始めたので、年齢別のミスマッチ現象はさらに目立つことになった。

第二は、都市部と地方との地域別にみたミスマッチである。地方では輸出型産業の生産が落ち込み、公共投資も抑制されていたから、都市部に比べて雇用情勢が悪化した。

第三は、産業別のミスマッチである。産業構造の変化により、造船、繊維などの「構造不況」産業では余剰労働力が発生する一方、サービス産業では雇用機会が拡大するといった動きが現われる。87年版の「労働白書」は、93年までに予想される経済構造の変化を達成するためには、第二次産業から二百万人以上が流出し、第三次産業に二百万人以上が流入する必要があると推計した。

第四は、職種別のミスマッチである。とくに、コンピュータ、情報、ハイテク関係の専門的職業分野で雇用機会が増大しても、職種転換はそれほど簡単ではないため、ミスマッチが目立つことになったのである。

こうして雇用について悲観的な見方が強まったのは、基本的にはすべて円高が原因であった。円高に対して企業は設備・雇用の調整による合理化にとり組んだ。その影響は相対的に労働コストの高い中高年層を中心に現われた。円高は産業構造を大きく変化させ、輸出依存度の高い素材型産業が立地する地域の雇用がとくに打撃を受けた。

産業構造の変化は労働需要の中味にも影響を与え、職種別のミスマッチが強まった、という具合である。しかし、これは日本経済が円高にまだ適応できない間に生じたことであり、その後、円高への適応が急速に進むにつれて、悲観的な見方は大きく変化することになる。